既に夜も更けきり、月明かりは微かに東京都市郡を照らしている。
9月と言えども夜の空気は冷たく湿潤として、秋の訪れを闇に示す。
高層建造物が立ち並び、その間を縫う様に巡らされたハイウェイを行き交う乗用車もまばらにして、
時刻も遅く道を行く人の気配は稀である。

表面では栄華を見せるこの大都市も、先の大戦の傷跡を隠し切る事は叶わず、
かつての様に法と秩序で守られた安全な国と謳われていた面影はほぼ見当たらない。
政府の力は地に落ち、大戦による被害は尋常ならざるものにて、
戦前の生活水準を取り戻したのは実に人口全体の5〜6割程度にしかならず、
残りは全て犯罪者やその予備軍、それらの犠牲となる者への道しか残されない。
そして、一度陽が落ちれば人の住まうこの大都市は、闇に生きると常とする者どもの徘徊する、殺伐とした世界へと変貌する。
ここで言う『闇に生きる者』とは、
先述の、欲のままに、もしくは生き抜く為に已む無く、罪に手を染める犯罪者達、
古来より人の歴史の裏に潜み、人々を食らって来た魑魅魍魎―――『異形』、
そして、秩序の維持を目的として、日々命を賭してそれらを排除し続ける事を生業とする人間達の3種類と知るべし。


さて、時刻は午前2時を過ぎている。
東京都市郡より多少外れた位置に、際立って大規模な高層ビルがある。
国内ではかなりの大手企業である医薬製造会社『フェリウス』の本社ビルである。
普段なら深夜遅くまで研究者達が熱心に医学の研究を行っているのだが、今夜は明らかに様子がおかしかった。

断続的な銃声、時折爆発と思しき轟音、怒号と悲鳴、それらが同社ビルから漏れ続け、静かな夜の空には一段とよく響く。

医薬企業『フェリウス』本社は、謎の武装集団の強襲を被っていた。
その武装集団は例外なく、灰色の目立たない戦闘服を着て、アタッチメントの豊富なタクティカルベストを重ね着し、
拠点強襲に適したMP5サブマシンガンを標準装備、中にはショットガンやグレネードガンと言った類の重火器を持つ者も居た。
数にして20〜30人より少し多い程度のものではあるが、動きは俊敏にして瞬発的な状況判断は的確、
社内の警備をしていた武装警備員などものの数ともしない。
たちまち、フェリウス本社内は武装集団に次々と制圧され、抵抗する者、武装している者は例外なく射殺された。
しかしそんな中に、正体不明の怪物の死骸も多数混じりこんでいる。
人の形を残した亜人、獣の様な四足歩行の魔獣、何とも例え難い醜悪な風貌をした怪物。
それらは、先に述べた『異形』と呼ばれる物の怪・魑魅魍魎の死体であった。
フェリウスは、突如襲って来た武装集団への抵抗の術として、彼らを駆り立てたのである。
だが集団の方は異形の存在をも事前に予測して、対異形用の重装備を誇る部隊を編成、悉く退けたのだ。
もはや、社内が完全に制圧されるのは時間の問題であった。



そんな頃合、同社内の高層部。
屋上近い階層の薄暗い廊下を、一人の中年男性が走っていた。
整えた髪は乱れきり、小太りな身体を纏う上等な生地のシャツが、汗を余分に吸い込んでべとついた。
そんな事を気にもかけず、息を荒げながら、彼はただなりふり構わず走り続けた。
彼は、この『フェリウス』社の社長である。

そして後に続き、武装集団の一員と思われる、二人の男女が走ってきていた。
男性の方は、髪を短くさっぱりと切っており、貫禄のある顔つきでがっしりとした長身をしている。
女性の方は、男性程の身長は無く、整った顔つきに黒髪のショートカットが美しく映えていた。
二人とも武装集団の特徴に漏れず灰色の戦闘服、タクティカルベストを着込み、手にはサブマシンガンを携え走っている。
日々の訓練に裏づけられた無駄の無い走り方は少しずつではあるが、確実に先を行くフェリウス社社長との距離を縮めていた。

社長が、廊下突き当たりの角を勢いよく曲がったところには、屋上へと続くエレベーターがあった。
これで二人の追撃者を振り切ろうと、彼は開閉ボタンを忙しなく押し続ける。
やがてエレベーターの扉が開き、社長は待ちわびた様に勢いよく中へと雪崩れ込み、スイッチを再び連打する。
武装集団の男性の方が追いついたのと、エレベーターの扉が閉まるのは同時であった。
直後に駆けつけてきた女性が、立ちすくむ男性へと声をかける。

「逃げられたの!?」
「屋上からヘリで逃げる気だ!階段あっただろ、急ぐぞ!!」

男性がすかさずそう言い放ち、再び走り出した。
階段は、今走って来た廊下の先にある事は事前に見取り図で確認したし、ついさっき前も通った。
もう加速を追えて全速力で走り出している男性の後を追う様に、女性も今来た道を急いで駆け出した。


ガコオオオオオォォォォォォォ――――――!!

前触れも無く突如発生した轟音に、二人とも思わず足を止めた。
たった今走り出したばかりの女性の左手前方にあった壁が、耳を劈く轟音とともに崩れ落ちたのだ。
丁度、男性の後方、女性の前方。
二人の間を挟む位置にある壁である。
二人は足を止めて崩れた壁に注目はしたが、そこから何が出てくるかは判りきっていた。

かくしてそこには、一体の異形が立っていた。
人の形をした、2m近くもある灰褐色の巨躯を前のめりに屈めたその姿は、あたかも巨大な猿人を彷彿とさせた。
人体模型の如く全身の筋繊維を曝け出し、禿げ上がった頭部に白濁した双眸をぎょろつかせ、
唇も無く露にした歯茎には鋭い牙が不揃いに並ぶ。
その風貌は『鬼』とも『死屍』とも取れず、ただおぞましい化け物であった。
『餓醜鬼』―――専門家達の間でそう名づけられ、危険度Aを誇る異形である。

この薄暗く、細長い廊下で言えば、女性の進行方向を塞ぐ位置に現れた餓醜鬼は、
男性の方には見向きもせず、女性の方を向いて立ちはだかる。
その不浄な姿から漏れる濁った唸り声は、この夜の月明かりも相まって、見るものに並成らぬ恐怖を叩きつける。

「ホンット・・・空気読まないで、こんなタチ悪いのが出てくるんだから・・・!」

女性は条件反射でMP5を構えて目の前の餓醜鬼に銃口を向ける。
餓醜鬼の背後にいた男性も同じく、MP5を構え、射撃体勢に入った。

「桜庭、アンタは社長を追って!コイツはアタシが何とかするから!!」

目の前の異形を挟み、向こうから飛んで来た女性の言葉に、男性は驚きを隠せなかった。
顔には出していないが、思わず心の中でキョトンとした表情を浮かべる。

「バカ言ってんじゃねぇよ!こんな奴、お前一人で相手しきれるもんじゃねえのは判ってるだろうが!!」
「喋ってる暇あったらさっさと行くっ!!アンタは社長追って、早く峰のチームを増援に呼んで!!」

二人の間に、一瞬ではあるが静寂が訪れた。
この餓醜鬼の相手をするには、最低でもショットガンぐらいの重火器がなければ勝ち目は薄いのだが、
今、彼らが持っている様なマシンガン程度では正直致命傷を与えるのはかなり厳しい。
ここで男性が残っても、あまり効率的では無い事は明白であった。

「・・・判った、部隊の増援を呼ぶからな!それまでに死ぬんじゃねえぞ!!」

男性はそう女性に言葉を放ち、背中を見せて走り出した。
そして素早く、左手首に装着していた通信機を起動し、他所にいる部隊員と連絡を取る。

「こちら桜庭!希梨華が餓醜鬼と交戦中!27階、エレベーター前だ!!
 殺される前に、早いとこ応援に行ってくれ!」

目の前の餓醜鬼に遮られて向こう側は見えないが、男性が走り去る音が聞こえる事を確認し、
『希梨華』と呼ばれた女性は尚もMP5マシンガンを構えたまま、巨大な化け物と向き合っていた。
薄暗い廊下の横に張り巡らされた一面のガラス窓から差し込む、仄かな月明かりだけが唯一の光源で、
目の前の異形のシルエットがそれに照らされているのが尚更醜悪であった。
希梨華は以前にも、この餓醜鬼と戦った事があった(無論、別の個体である)。
その際に、この猿人の様な化け物がどれだけヤバいかと言う事を、身を持って思い知らされた。
並の火力ではビクともしない耐久力、巨体に似合わぬ俊敏な身のこなし、
ヒトの身体など容易く破壊する怪力、高い知能と高度なチームワーク―――危険度Aを誇る所以。
以前は対異形用の強烈な重火器を持ち合わせていたから、何とか撃退は出来たが・・・

今回の任務では、フェリウス社員を制圧するチームと、
同社が隠れて抱えているであろう異形を掃討するチームに分けられていて、
女性である希梨華は生憎、重火器を上手く扱えないため、前者のチームに編成されていたのだ。
だからこそ、さっきまでフェリウス社社長を追っていたのだし、餓醜鬼を相手にする事など全くの想定外である。
武装は今手にあるMP5サブマシンガンと、アタッチメントに収納している白兵戦用のレーザーナイフのみ。
こんなもので正面から立ち向かう等、自殺行為と大して変わりはしない。
レーザーナイフで上手く急所を抉る事が出来れば或いは仕留められるかも知れないが、
懐へ飛び込む事の危険さは計り知れない。失敗すれば即死は確実だろう。

目の前の餓醜鬼は、濁った呻き声を上げながら希梨華の方へと少しずつ歩み寄って来ている。
状況の悪さに思わず舌打ちをしながら、希梨華は構えながら後ずさる。
少しでも隙を見せようものなら、その猿の様なでかい図体が一瞬にして跳んで掛かってくるだろう。
増援が来るまで、何とかして逃げ回って時間を稼ぐのが最良の判断か?
しばらくの間、両者のにらみ合いが続いたまま時間が過ぎていった。

そして、彼女が通路の曲がり角の所に差し掛かった時である。
先程から餓醜鬼の呻き声だけしか聞こえていなかったが、その呻き声がどこか増えた様な気がした。
気のせいかとは僅かに思ったが、そんな曖昧な答えはすぐに廃棄された。
―――増えたのは呻き声だけではない!殺意、自分に向けられた殺意もだ―――!!

「!?」

絶えず前方の敵を睨み付けていた希梨華が、左側に伸びる通路を振り向く。
振り向いた先には、前方の醜い化け物と同じ容姿を持つ、巨大な化け物が佇んでいた。

―――ウソ、もう一体いる!!?

流石に、彼女もこの予想外の事態に動揺は隠し切れなかった。
一体だけならまだ何とかなるとは思っていたが、二体も居るとなると話が違う!

彼女が目を離した瞬間だった。
前方の餓醜鬼が、けたたましい咆哮を上げ、両腕を振りかざし低い軌道で希梨華に向かって飛び掛った。
不意を突かれ、希梨華は僅かに反応が遅れる。

「!!!」

両腕を振りかざして来たため、両脇ががら空きだったのが眼に飛び込んでくる。
咄嗟に、希梨華は向かって左側の脇の下へと前転で身を飛び込ませた。
筋繊維が剥き出しの肌をすれ違い、彼女は間一髪で回避に成功し、餓醜鬼の背後を取った。

「ちっ!!」

続けて、希梨華は餓醜鬼との間合いを急いで広げながらMP5マシンガンを砲火する。
銃声が立て続けに響き渡り、弾丸が次々と餓醜鬼の背中に突き刺さって、鮮血が勢いよく噴出す。

―――危険度Aクラスの異形を2体も相手にするなんて、冗談じゃない!
小手先のサブマシンガン程度でどうにかなるものではないのは判りきっていた事だが・・・
これでは増援が来るまでにやられてしまう!峰の部隊は早く来ないのか!!

一方、餓醜鬼の動きは全く鈍りを見せない。
着地した後、希梨華の方を振り返ったかと思うと、マシンガンの弾幕などものともせず、
奇声を発しながら今度は彼女へと目掛けて勢いよく突進してきた―――

「・・・ッ!!」

あの巨体とまともに激突でもすれば、骨の何本が逝くか判ったものではない!
しかし、この廊下の横幅の大部分を占める奴の図体の突進を避ける術も無い事もまた現実!

希梨華はマシンガンの発砲を止め、已む無く餓醜鬼の突進に対して身構える。
前方を見据え、衝突の直前にバックステップを踏んで、激突時の衝突を緩和するしか思い浮かばなかった。
広く開けた間合いが一瞬に詰め、低く屈んで突っ込んできた餓醜鬼が希梨華の腹部に強烈な体当たりを食らわせる。

ズドォンッ!!

バックステップは何とか成功、衝突による衝撃は大分和らげる事に成功はしたが、
ケミカル素材のタクティカルベストには大きくヒビが入り、希梨華の身体に如何なる衝撃が加わったかを物語る。
頭の中が激しく揺さぶられ、苦痛にむせ返るには未だ十分なダメージであった。
希梨華は大きく吹っ飛び、マシンガンが手元を離れた後、2m先の床へと叩きつけられ仰向けに倒れる。

「・・・う・・・ァッ・・・!」

まるで、自動車と正面衝突したかと思わせる様な感覚であった。
希梨華は腹部を抱え、苦痛に顔を歪める事しか出来なかった。
前方から、たった今突進してきた餓醜鬼が咆哮を再び上げるのが聞こえた。
もしあの巨体に馬乗りにでもされたら、それこそ生きたまま喰われるのが結末となる!
「(ヤバい・・・早く、立ち上がらないと・・・!)」
案の定、餓醜鬼は先程と同じ様に、仰向けに倒れている希梨華に向かって飛び掛ってきた。
必死に苦痛を堪え、希梨華は仰向けたまま右側に転げ回り、餓醜鬼の追撃を避けようと試みる。

ドォン!!

直後に、彼女の真横に餓醜鬼の巨体が勢いよく飛び込んできた。
着地地点の床は踏み砕かれ、激しい振動が真横の彼女へとダイレクトに伝わってくる。
大掛かりに飛び込んできたせいか、着地時の隙は目に余って大きい。
―――反撃のチャンスがあるとすれば、ここしかない!!

急いで立ち上がりつつ、ヒビの入ったタクティカルベストのアタッチメントに手を伸ばす。
そして彼女が手に取ったのは、一本の刃渡りの長い、レーザーナイフである。
レーザーナイフと言うだけあり、刀身部分に刃はなく、代わりに何らかの装置が取り付けられていた。
彼女が柄の部分のスライド式スイッチをONにすると、
その刀身部分が淡い光と低い機械音を放ち、ナイフの周辺を薄く照らし出した。

一瞬のうちに体勢を立て直し、
希梨華は目の前で前のめりにうつ伏せている餓醜鬼の後ろ首に、
すかさずそのレーザーナイフの刃を刀身の根元まで深く突き立てた。
比較的硬質な皮膚ではあったが、レーザー状の刃はそれをいとも容易く切裂き、餓醜鬼の首の中へと飲み込まれる。
頚動脈を断ち切った手応えを感じた直後、鮮血が噴水の如く物凄い勢いで噴出した。

餓醜鬼が、希梨華のすぐ傍で耳を劈くおびただしい悲鳴を上げる。
返り血をまともに浴びつつも、希梨華は突き刺したレーザーナイフを握り締めたまま、
手前に思い切り勢いよく引き寄せて、餓醜鬼の首を中央から引き裂いた。
同時に餓醜鬼の悲鳴が掠れて行き、着地時の体勢のまま床にうつ伏せにへばり込んだ。

一匹、殺った―――!!

希梨華は多少ながらの安堵感を得て、奥の方にいたもう一匹の方へと眼を――――

「!?」

突如、希梨華の視界が真っ暗になった。
何、明かりが消えた!?・・・いや、違う。頭部を掴まれたのだ!
もう一匹の餓醜鬼は、希梨華が今の個体にナイフを突き刺していた隙を逃さずに、
既に攻撃態勢に臨んでそこまで迫ってきていた。
その巨体から繰り出される大きな掌は、希梨華の頭を鷲掴みにする事など造作もなかった。

「(しくじった・・・!!)」

頭を掴まれたまま、希梨華は宙に持ち上げられる。
徐々に、頭を掴む餓醜鬼の右手の力が強くなって来た。このまま、頭を握りつぶす気か――――!!
抵抗してレーザーナイフを二の腕に突き刺すも、僅かに力が緩むぐらいで、行動を止めるまでには至らない。
頭が割れるような痛みに思わず声が漏れ、希梨華の意識が次第に薄れて行く。
身体の力が抜けて行き、もはや抵抗する気力も無くなっていった。

「(こんなトコで・・・死ぬなんて・・・・・・)」

ドオォォン!!

突如、間近で爆発音が聞こえた。
直後に、希梨華の頭を掴んでいた手の力が抜けて、希梨華は床にどさりと倒れこむ。

「(何・・・やっと増援が来たの・・・?)」

希梨華を掴んでいた餓醜鬼は、胴体にグレネードガンの榴弾を打ち込まれ、かなりのダメージを負っていた。
強烈な一撃を食らいよろめく餓醜鬼に、追い討ちと言わんばかりにもう一発榴弾が打ち込まれる。
連続で襲来する、強烈な破壊力を誇る榴弾に、流石の餓醜鬼の強靭な肉体も耐え切る事は叶わず、粉々に吹き飛んだ。
敵が全て居なくなったのを確認した後、誰かがへたれ込む希梨華の元へ足早に駆け寄り、彼女の身を案じる。

「先輩!大丈夫ですか!?」

緊張の糸がぷつりと切れ、希梨華は思わず息が上がる。
まだ目眩で頭がぼうっとする中、聞き成れた声が耳に聞こえる。
この声は・・・後輩の乾斗(かんと)だ。
希梨華より年下で、可愛らしい顔をした真面目な好青年だ。
今回の任務では、異形掃討チームに組み込まれていた同じ小隊のまだ経験の浅い新人である。

「乾斗君、ありがとう。本気で死ぬかと思った・・・」
『大丈夫か、法条』

もう一人、男性の低い声が向こうから聞こえた。
乾斗の後ろから、もう一人の部隊員が悠々と歩いてきていた。
大柄な体格とごつい顔つきをした、如何にもこの手の仕事に向いてそうな雰囲気を持つ、年配の男性である。
増援に来たはいいが、乾斗が片付けてしまったのでやる事が無くなってしまったのだろう。

「・・・任務の遂行を優先した結果、こうなっただけよ。」
「しかしお前は何かに付けて無謀な事をする。他の奴の助けが無かったら、今みたいにあっという間に死ぬぞ?」
「仕方ないでしょ。社長追ってたらコイツらが出てきて、アタシが足止めして桜庭を行かせたんだから・・・」

年配の男は、社長と聞いて思い出したかのようにハッとする。

「そうだ、社長はどうした!?」

この武装集団の目的は、フェリウス本社の制圧、及び此度の犯罪行為の黒幕である上層部の全員抹殺である。
一番の大物である同社社長をみすみす逃してしまったとなれば、任務は成功とは言い難い。

「だから、桜庭が一人で行ってる。アタシはコイツらの相手で一杯一杯だったの、ホントに・・・」

その時、男性の通信機がランプの発光とともに着信を知らせる。
着信に気付き、手馴れた手つきで彼はそれに応答した。

「こちら峰」
《桜庭だ、たった今社長を始末した。希梨華の方は大丈夫か》
「ああ、何とか無事だ。」
《そうか、よかった》
「別働隊も既に任務を遂行して撤収体制に入っている。10分後には指定の場所で待機していてくれ。」
《了解》

――――――

「今の、桜庭?」
「ああ、社長を始末したそうだ。」
「じゃあ、今夜の任務はこれで終わり?」
「そういう事になるな。回収用のヘリがこっちに向かっている、回収地点に行くぞ。」

年配の男性が、先にツカツカと歩いていく。乾斗と希梨華も、後に続こうと歩き出す。

「先輩、歩けますか?」
「・・・ちょっとキツイ。ごめん、肩貸してくれる?」

乾斗は歯切れの良い返事とともに、希梨華の肩を担ぐ。
最初は少しギクシャクとしていたが、次第に効率よく前に進めるようになった。

「ごめんね、世話やかせて・・・。今度、おごったげるよ。」
「別にいいですよ。これぐらい」

ずっと静かだった窓の外から、ヘリの音が聞こえてきた。
さっき言っていた、部隊の回収用のヘリであろう。時刻は既に夜中の3時を回っていた。
気がつけば社内での銃声や悲鳴、爆発音は既に聞こえなくなっていて、先程までの騒動が嘘のようであった。
――――翌日、医薬企業『フェリウス』本社が何者かの襲撃を受け、壊滅したと公に報道される事となる。


開戦前後辺りから、秩序と治安が著しく乱れた日本国に於いて、凶悪犯罪は増える一方であり、
力の堕ちた政府には、それらに対応しきれる手立ては残されては居なかった。
だからこそ、国家は増加していく凶悪犯罪に対抗すべく、とある部隊を編成した。
その部隊は、公な殺人の許可を与えられた、国家の代行者である。
主の命のまま、国家に不利益をもたらす者を容赦なく抹殺していく。それが部隊の基本である。
時には武装した犯罪者の集団、時には市外に出没した異形を、彼らは常に命を賭けてそれらを排除し続ける。
全ては、国家の治安維持と言う大義名分の下――――――――